巻之百四十九 やっぱ電車で行こう(中)

コラム【スワ氏文集】 2013年08月08日

 サラリーマン生活は計十三年、学生時代も含めると僕は十七年も通勤電車に乗っていたことになります。そしていつしか、僕にとって電車とは満員電車をさす言葉になっていたのです。

 無邪気な子供の頃は昼間の空(す)いた車内を弟と走って怒られたり、吊革(つりかわ)で吊輪(つりわ)をして怒られたり、車両と車両の間、あのぶかぶかの幌(ほろ)がアコーディオンさながら左右交互に伸縮する暗い個室に弟と閉じこもり、滑り止めの「/」印がたくさん浮彫(ふちょう)された揺れる鉄板の上に飛び乗って、「♪波乗りカモーン!」などと意味の分からぬサーフィンごっこをして転び、掌(てのひら)や半ズボンのお尻を、鉄板に塗られた黒い潤滑油(グリース)だらけにしてまた怒られたりしたものです。

 ああ、懐かしき「本当の電車の時代」。大人になった今、それはどこか遠くへと消え去ってしまいました。

 あの息苦しい朝の満員電車。混んだ車内では文庫本を読むか、寝るか、です。行き帰りの車内だけで週に二冊は読めたものです。強制的な「朝読」と「夕読」。

 残業続きで疲れて本が読めない日もあります。そういう時は、朝だろうが夕方だろうが、立って吊革に片方の手を掛けたまま寝るのです。そう、サラリーマン時代の僕の得意技は満員電車の中で立ったまま眠る、しかも忍者のように、短く深く熟睡することでした。

 吊革のあの丸い輪っかにクッと右手を掛けます。そして右肘(ひじ)の内側に頬(ほお)をすっぽりもたせかけ、そのまま、右手が輪っかに力を加えている事実を忘却してしまうよう自分に暗示をかけるのです。…僕は眠る。右手は握る。手首から先と手首からこっち、それは別々の領分。右手は吊革の一部。僕は右手のことなど知らず眠る。ここはどこか異国の風光明媚(ふうこうめいび)な海辺で、パナマ帽の僕は汐風(しおかぜ)に吹かれ、昼からビールを飲んでいる…。

 うそじゃなく、この特技のせいで僕が駅を降りそこねたのは二回や三回ではききません。一つ前の駅を認識したのに、数分後、一つ後の駅で目を覚ますのです。立ってるのにですよ! 一番情けなかったのは昔地下鉄東山線の名古屋駅で降りられなかったことです。満員の伏見駅で一度起き、車内の中ほどの吊革でクッと寝て、ふと気づけばロングシートに人っ子ひとり座っていない無人の車両の中央で、僕だけ立って吊革にクッと手を掛け、苦しげに寝汗をかいて寝てました。そこはビーチではなく、亀島(かめじま)の駅でした。(諏訪哲史・作家)

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