田川の炭鉱住宅 市住に建て替え 72戸解体準備始まる

 田川市松原地区で、市営住宅に建て替えられる最後の炭鉱住宅の解体準備作業が始まった26日、現場には元炭鉱マンらが駆け付け、多くの思い出が詰まった住宅が消え去ろうとする様子を見守った。

 その一人、矢田政之さん(79)(田川市新町)は1948年、18歳で旧三井田川鉱業所に就職。地下550メートルの坑内で落盤を防ぐ業務を担当し、労働組合の活動にも参加した。今でも、仕事を終えて共同浴場で汗を流す炭鉱マンや、炭鉱住宅の路地を元気に走り回る子どもたちの姿をよく覚えているという。

 解体工事は月末に着手される予定。矢田さんは、工事中に外部から立ち入ることができないよう、炭鉱住宅の周囲に縦2メートル、幅50センチの鉄板が次々と取り付けられる様子を見つめながら、「地域の発展や私たちの生活を支えてくれた炭鉱住宅に感謝したい」と話した。

 松原地区に残る炭鉱住宅は115戸で、今回解体するのはうち72戸。市は残りの住宅も買収して2012年度までにすべて取り壊し、跡地に市営住宅や公園などの整備を計画している。

(2010年5月27日 読売新聞)

味真野茶が復活、市民手もみ再現 記者も密着、手作業の醍醐味を実感 越前市

茶の産地として栄えた福井県越前市南東部の味真野地区。製茶は一帯の伝統産業として江戸時代から受け継がれたが、人手不足のため戦後まもなく衰退した。地区内には放置された茶畑が数多く残る。「製茶を復活させよう」と住民が立ち上がり今月23日、昔ながらの茶摘み、手もみ作業で製茶が再現された。地区にとっては歴史的な出来事になった1日に密着した。

(武生支社・宮崎翔央)

 ■新芽は柔らかかった

 午前8時半、同市五分市町の城福寺。製茶復興を呼び掛けた実行委メンバーと市民ら計約30人が集まった。地区内には、剪定(せんてい)などの手入れが続けられたおかげで、茶摘みを再開できる茶畑が何カ所も残る。

 腰丈ほどの茶の木が列になって並ぶ。参加者は列の間に入って腰を曲げ、茶摘みを始めた。茶色い枝の先端を見ると鮮やかな緑色の部分がある。新芽だ。そこから生えている3、4枚の茶葉を手で慎重に摘んでいく。

 ポキッポキッと気持ちよい音を鳴らして簡単に採れる。摘みたての茶葉は柔らかい。根元の葉はツバキのように固く、違いは明らかだった。「子どものころ、新芽を摘んではそのまま食べて遊んだよ」との声に、恐る恐る口に運んだ。思ったほど苦くない。濃いお茶を飲んだ後のように、うま味がじわっと広がった。

 ■変わっていく香り

 1時間で約5キロを収穫。場所を同市余川町の味真野苑(えん)に移し、古民家内で手もみ作業を開始。

 収穫した茶葉は蒸した後、水分を飛ばしながらもみほぐすことで、こより状の乾燥茶になる。今では機械化されてしまったが、昭和初期ごろまでは手もみだった。

 今回は実行委が前日に収穫、蒸す工程まで済ませた茶葉を使った。木炭で熱した鉄板に木の板を重ね、その上で茶葉をもんでいく。両手を合わせるように、力強く葉をこする。最初は青臭かったが、熱せられたことで香ばしくなり、湿った感触が次第に乾燥していくのが分かった。

 指導してくれた製茶経験者の野川勝さん(81)=同市味真野町=によると、「触覚や嗅覚(きゅうかく)で変化を見極め、最適な調整ができるのが手もみの醍醐味(だいごみ)。機械では決してできないが、相当の訓練が必要になる」。参加者のほとんどが初体験だったが、野川さんらの話を聞きながら自分たちなりに「見極め」を楽しんだ。

 ■伝統の茶を後世に

 茶もみ最中に実行委らが民謡「味真野茶もみ唄(うた)」を披露し、作業は和やかな雰囲気で進められた。もみ終わった茶は参加者全員に配布。実行委が事前にもんでおいた味真野茶の試飲も行われ、結婚前まで味真野地区に住んでいたという高齢女性たちは「子どものころ飲んだ味を思い出した。苦みの中にも甘さがあり、鼻に抜けるような良い香り。懐かしさでいっぱい」と喜んでいた。

 実行委の福岡忠則委員長(63)=同市宮谷町=は「味真野茶が復活した記念すべき1日になった」と笑顔をみせ、来年度以降も茶摘み、手もみ体験を続けると意欲を燃やしていた。

 記者も茶摘み、手もみとも初めての経験だったが「野菜を食べるのと同じように植物の生命力をもらっている」と実感することができた。今回を契機に味真野茶の伝統が見直され、後世に伝えようという機運が盛り上がっていくことに期待したい。

放射線治療を高精度に 聖隷三方原病院が県内初の装置導入

 地域がん診療連携拠点病院の聖隷三方原病院(浜松市北区)は31日から、新設した放射線治療室での診療を始める。頭部だけでなく全身の腫瘍(しゅよう)をピンポイントで治療できる最新の放射線治療機を、県内で初めて(全国5例目)導入したのが特徴。既存の治療機と合わせて年間700人余の患者の受け入れが可能になるという。 (赤野嘉春)

 導入した高精度放射線治療統合システム「ノバリスTx」は、3種類の画像誘導装置を装備。診療台上で患者の体表の動きを赤外線でとらえるほか、骨格の動きをエックス線透視画像で、内部臓器をCT横断像で把握する。診療台は縦横、上下の動きに加え、傾斜も可能。さらに患者の呼吸に合わせて放射線が照射できる。

 これまで頭部への放射線照射には、頭をボルトで固定する必要があったが、病変部を的確に把握できるため不要になった。放射線治療科の山田和成部長は「高精度な放射線治療が効率よくできる」と説明した。
放射線治療室は、広さ830平方メートル。放射線室は、治療機から発する放射線を遮断するために床や壁、天井のコンクリートの厚さを1メートル以上にし、部分的に30センチの鉄板を埋め込んだ。別室の操作室などには約50台の端末モニターなどを装備する。総事業費は約25億円。

 放射線治療は、病変部を切除しない“優しい治療”でもあり、荻野和功院長は「高齢化社会を迎えて需要は高まる。最新鋭の設備で治療に力を入れていく」と、意義を強調していた。

広島・中区の鉄板落下事故:広島高速交通にJR西が謝罪 /広島

アストラムライン白島-城北駅(中区)間で20日、交差するJR山陽線高架から鉄板2枚が落ちてアストラムラインが全線で運転を見合わせた事故で、JR西日本広島支社は21日、アストラムラインを運行する広島高速交通に謝罪。中国運輸局に経過を説明した。

 鉄板はコンクリート製高架橋の底部に固定された化粧板で、長さ約5・9メートル、幅約12センチ、厚さ約1ミリ、重さ約1・8キロ。JRは「経年劣化で、(板を固定する)ビスが外れたか、鉄板自体が朽ち落ちたか、いずれかが原因」と説明している。JRは事故後、周辺の鉄板21枚を取り外し、中国運輸局に「当面の運行に支障はない」と説明した。【星大樹】

アスベスト被害で三井造船を提訴 元下請け従業員遺族

アスベスト(石綿)による肺腺がんで死亡したのは、安全配慮義務を怠ったためとして、大手造船メーカー「三井造船」の下請け会社の元従業員、宮地秋廣さん=当時(63)=の遺族4人が18日、三井造船に約6400万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。

 訴状によると、宮地さんは昭和35~53年、三井造船の下請け会社に溶接工として勤務。接合時に加熱された鉄板の急冷を防ぐため石綿布を切って巻く際、大量の石綿粉塵(ふんじん)を吸入したという。

 宮地さんは退職後の平成12年3月に死亡。20年9月、石綿由来の肺がんと判明し、アスベスト救済新法による特別遺族年金支給決定を受けた。

 遺族は、三井造船は遅くとも昭和30年代中ごろまでには、石綿粉塵の吸入で重大な健康被害が起こることを認識していたにもかかわらず、作業前の散水を指導するなどの安全配慮義務を怠ったと主張している。

朝ドラ追加キャスト発表! 遠藤憲一、『朝の顔じゃない』オレでいいのかなと困惑

NHKで9月27日(月)から放送予定の平成22年度後期連続テレビ小説「てっぱん」の新たな追加キャスト17人の発表が5月12日、大阪NHK放送局で行われた。
会場にはヒロインの瀧本美織に加え、あかりの母役の安田成美、父役の遠藤憲一のほか、遠藤要、森田直幸、朝倉あき、長田成哉、柏原収史、川中美幸、赤井英和、竜雷太、そして制作統括の海辺潔氏が登壇した。

同作は、広島・尾道で育った村上あかり(瀧本)が、大阪の会社に就職するが失業。その後、18年間互いにその存在を知らなかった偏屈な祖母・田中初音(富司純子)と2人でお好み焼き店を開業するという、大阪と広島を舞台にした「鉄板繁盛記」。

豪華キャストを前に瀧本は「きょう始めてお会いする方が多く、テレビで見たことがある人がいっぱいいます。ちょっとどきどきしています」とコメント。
NHK朝ドラには『春よ、来い』以来16年ぶり、2度目の出演となる安田成美は「約半年間、とても明るく、快活なお母さんを演じられることを、とても楽しみにしています。家族に、たくさんの愛とエネルギーを注ぎたいと思います」と意気込みを語った。

遠藤憲一は「わたしは21歳で映像デビューしたのですが、そのデビュー作が以前のNHK大阪の建物で収録した新撰組の話でした。それ以来のNHK大阪なので、新鮮な気持ちです。そして20代前半で、東京の連続テレビ小説のオーディションを受けたこともあったのですが、『朝の顔じゃない』って言われて落っこちたことがあるんですよ。今はもっと恐い顔しているので、本当にオレでいいのかな?という感じがするのですが」と意外な暴露話で笑いを誘った。

キャスト発表にあたり、海辺潔チーフ・プロデューサーは「ご覧のとおり、個性的で温かい方々に集まっていただくことができました。本日は、ご都合でお越しいただくことができませんでしたが、ほかにも柳沢慎吾さん、尾美としのりさん、ともさかりえさん、松尾諭さん、神戸浩さん、松田悟志さん、趙珉和さんといった方々にご出演いただくことが決まりました。考え得る限りの最高の出演者に集まっていただけたことを嬉しく思っています」とコメントし、キャスティングに自信をのぞかせた。

‘10年度後期 連続テレビ小説「てっぱん」
9月27日(月)スタート予定(全150回)
毎週月~土曜朝8:00-8:15ほか NHK総合ほかで放送予定

似て非なる郷土料理「とんちゃん」が結ぶご縁

ともに「とんちゃん」と呼ばれる郷土料理のPRに取り組んでいる田川市の「田川ホルモン喰楽歩(くらぶ)」と長崎県対馬市の「対馬とんちゃん部隊」がタッグを組むことになった。両団体は8月に「とんちゃん同盟」(仮称)を結成する準備を進めている。

 ホルモン喰楽歩は、会長の田川市職員、金子和智さん(39)が中心となり、2008年11月に発足。牛や豚の小腸などを野菜と煮込んだ料理で、「とんちゃん」とも呼ばれる市民の味「ホルモン鍋」を観光振興の起爆剤にしようと、各地のイベントで振る舞っている。

 一方、とんちゃん部隊は、対馬市の飲食店主らが今年2月に設立。みそやしょうゆなどを調合したタレに漬けた豚の肩ロースを野菜などと一緒に鉄板で焼いた「対馬とんちゃん」の普及に努めている。

 交流は、とんちゃん部隊の隊長の斎藤豪さん(38)らが3月、田川市を訪れ、“味対決”を申し込んだのがきっかけ。

 両団体は「負けた方が勝った方の料理を1年間PRする」との条件で、福岡市・天神で4月に開かれた「九州ご当地グルメコンテスト」で競い合い、優勝した対馬側に軍配が上がった。

 対馬市で今月3日に開かれたイベントには金子さんらが参加。両団体がそれぞれの料理を100食ずつ、集まった市民に無料で提供するとともに、今後、連携を図っていくことで一致した。同盟は8月に同市で開かれる夏祭りの会場で結ぶ予定だ。

 「田川の人にも対馬とんちゃんを味わってもらい、互いに地域おこしを盛り上げていきたい」と金子さん。斎藤さんも「料理をPRし、対馬と田川の知名度アップにつなげたい」と張り切っている。

(2010年5月16日23時29分 読売新聞)

摘み取り、香り、手触り…新茶にわくわく! 南河原小6年生が製茶体験

川崎市立南河原小学校(幸区都町)で十三日、六年生児童七十六人が製茶作業にいそしんだ。「うわあ、いいにおい」。新茶のさわやかな香りに鼻をくすぐられつつ、児童たちは茶摘みや揉(も)みほぐし作業を楽しんだ。(堀祐太郎)

 製茶されたのは、校内で栽培されている「おくみどり」と「さやまかおり」の二品種。

 児童たちは木の上の方に育っている緑豊かな新葉を摘んで、鍋で蒸して葉をしなしなに柔らかくした。いったん乾燥させ、鉄板に敷いた和紙の上に広げて素手で揉みほぐすと、熱を帯びた茶葉が、教室いっぱいに芳醇(ほうじゅん)な香りを放ち、児童たちも目を輝かせた。

 製茶の指導にあたったのは、地元で「田辺茶舗」(同区南幸町)を営む同校卒業生の田辺幸男さん(71)。田辺さんが「均等に茶葉から水気を取ってください」と声をかけると、児童たちもていねいな手つきで茶葉を揉んでいた。

 製茶作業は、一九八三年に県津久井農業試験場から茶の木が贈られたことをきっかけに始まった伝統行事。四月に寒い日が続いたため、茶葉の成長が例年より一週間以上遅れたものの、大型連休の陽気などもあり、今年も緑いっぱいの輝きを放っていた。

 参加した六年二組の中井有紀さん(11)は「いつも飲んでるお茶と同じでとってもいい香り。早く自分で作ったお茶を飲みたいな」と顔をほころばせていた。

 同校は、植物の世話を通じて児童に自然や命のありがたみを学ばせようと、茶葉だけでなくナシやブドウなどの栽培・収穫を行っている。この日仕立てた茶葉約四百グラムは、みんなで、お茶菓子といっしょに飲んだり、阿部孝夫市長らにプレゼントする予定だ。

草津市、大津の建設会社を指名停止

安全管理不適切で死亡事故
 草津市は12日、工事の安全管理が不適切で死亡事故を起こしたとして、大津市打出浜の建設会社「笹川組」を、11日から2カ月間の指名停止にした、と発表した。

 草津市によると、笹川組が昨年9月14日、近畿地方整備局が発注した大津市南比良の志賀バイパス工事で、重さ800キロの鉄板が倒れ、下請け業者の男性作業員が死亡したことに伴い、処分した。

懐かしのまんじゅう復活 「かぶき家」が旧豊橋西武の名物再現

チャリン、チャリン-。まんじゅうをひっくり返すと響く懐かしい音が豊橋駅前に戻ってきた。2003年に閉店した豊橋西武(西武百貨店豊橋店)で売られていた「西武まんじゅう」を、百貨店跡地から南東へ50メートルの店「かぶき家」が復活させた。「ええじゃないか豊橋饅頭(まんじゅう)」として売り出した。

 懐かしのまんじゅうは、豊橋西武の前の「丸物百貨店」の時代から百貨店地下で売られていた。白あん入りのカステラまんじゅうで、丸物百貨店では「物」、豊橋西武では「西」や「SEIBU」と焼き印されていた。

 まんじゅうを復活させた「かぶき家」は、広告代理業「ジープレス」代表の鈴木恒安さん(43)が立ち上げた。鈴木さんは数年前から街中活性化の活動に加わり、自分も街に店を出そうと決意。その時、頭に浮かんだのが「いつも家族や親類が土産で買ってきてくれたまんじゅう」だった。

 復活に欠かせなかったのが、1時間に700個をつくる自動焼き機。真ちゅう製リングの中に皮と白あんを詰め円形の鉄板が回転。リングを返す時に「チャリン」と特徴的な音が響く。昔の製作メーカーは廃業していたが、愛西市のメーカーが今も受注生産していた。

 「子どものころ、まんじゅうが焼き上がるのをじっと見つめていました」と話すのは、豊橋市で生まれ育った、かぶき家店長の山田良彦さん(41)。「百貨店や映画館に来た帰りには必ず寄っていた。街に出る楽しみの一つだった」と懐かしむ。

 再現したまんじゅうには「え」の焼き印。豊橋商工会議所青年部などが推進する街活性化運動「ええじゃないか豊橋」にちなむ。販売開始から1カ月半がたつが、買い物客からは「懐かしい」との声が届き、鈴木さんは「街のワクワク感を次の世代に伝えたい」と意気込む。
ええじゃないか豊橋饅頭は、12個入りで540円。ばら売りもしている。水曜定休。

 (石屋法道)