検見川送信所保存検討 熊谷市長が見学

千葉市の熊谷俊人市長は30日、昭和初期に日本から初の国際放送を送信した同市花見川区の「検見川送信所」を視察した。30年前に閉局後、歴史的建造物ながら「廃虚スポット」として知られるようになり、解体計画もあったが、熊谷市長は保存に向けて、検討する意向を示した。

 送信所の建物はJR新検見川駅近くの市有地(2・3ヘクタール)の一角に残る。

 1926(大正15)年に開局、30(昭和5)年にロンドン海軍軍縮条約の調印を記念し、当時の浜口雄幸首相による平和演説を米英に発信した。日本初の国際放送とされる。

 人工衛星による国際通信が主流となり、79年に役割を終えた後は、千葉市の都市計画に基づいて建物を取り壊して中学校を建てる予定だった。

 閉局後、立ち入り禁止となり、90年代あたりから廃虚スポットとして知られるようになった。内部は落書きや割られたガラスなどで荒れ放題。

 東京と大阪の中央郵便局を手がけた建築家吉田鉄郎が設計した、白亜の外壁を持つ2階建ては、防犯対策のため、窓に鉄板が打ち付けられた痛々しい外観をさらしていた。

 この日、熊谷市長は初めて内部を見学。文化財としての保存・活用を求める有志でつくる「検見川送信所を知る会」のメンバーとともに、懐中電灯を手に中へ。クモの巣が張られ、壁材ははがれかかっていたが、「まとまった大きさの部屋が多い」「構造がしっかりとして、見た目ほど傷んでいないのでは」などと口にしながら奥へと進んだ。

 この場所での中学校建設計画は地域の人口増が見込めないため白紙に。送信所の解体には数億円がかかるとの試算もあり、地元住民や建築専門家などから文化的価値が高い歴史的建造物として保存を求める声が上がっている。

 見学後、熊谷市長は「聞くと見るとでは大違い。地元の人らと話し合って、お金をかけずに活用できるよう考えていきたい」と説明。内部調査や歴史的価値の再検討など、保存に向けて市として動く考えを示した。

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