【富山】1918(大正7)年に起きた「米騒動」発祥地の一つとされる魚津市大町、旧十二銀行の米倉で、大がかりな修繕工事が行われている。県内に唯一残る米騒動の舞台を後世に残すのが目的で、来年3月に完了する予定。【青山郁子】
当時の魚津は、北海道や旧樺太などに米を運び出すための港としてにぎわい、大町には銀行や米倉が建ち並んでいた。しかしシベリア出兵を機に米価が急騰。港で米の運搬にあたっていた女性約50人が、各銀行の倉から運び出される米俵にしがみつき、出荷をやめさせた。これが米騒動の発端となり、瞬く間に全国に波及。時の寺内内閣は倒れた。
倉は木造瓦ぶき約300平方メートル。県内の米騒動関連の史跡としては唯一、当時のまま残っている。現在は地元の水産会社「魚津水産」の所有だが、築95年に及ぶ風雪で傷みも激しいため、市が補助金を出し修繕費を賄うことになった。
修繕には専門学校「職藝(しょくげい)学院」(富山市)教授で文化財修復に詳しい上野幸夫さんがアドバイス。東側の外壁や後に付けられた鉄板を撤去して漆喰(しっくい)仕上げにするほか、明かり窓や「鳥居枠」と呼ばれる窓の周囲の飾りもきれいにして、当時の姿に近づける。観光客向けの案内看板も設置する予定。
費用は総額3000万円。民間の所有物のため一般開放はできないが、今後は市と同社で協議し、予約制など何らかの形で見学希望者を受け入れることも検討中という。魚津市教委の高山茂樹・文化係長は「米騒動を象徴する貴重な建物で、何としても後世に残したい」と話している。
2009年11月21日