「米騒動」発端の米蔵、修復終了

1918年の「米騒動」の発端といわれている魚津市本町の米蔵の修復が終わり、2日、報道関係者に公開された。修繕工事によって、米蔵の東側外壁に旧十二銀行(北陸銀行の前身)の行章が新たに発見された。10日には、市民らを対象に現地見学会を行う。

 市教委によると、新たに見つかった印は、1辺が約40センチのひし形で、旧十二銀行で使用されていた行章だった。鉄板に覆われていたため、保存状態は良いという。

 米蔵は、幅40メートル、高さ6・5メートル、奥行き11メートルの瓦ぶき屋根の木造平屋建てで14年建築。現在は水産会社が事務所や倉庫として使用しているが、築90年以上が経過し、老朽化していた。修復は、昨年10月~今年3月末に行われ、傷んだ屋根瓦を外し、床板を取り換えるほか、石積みの壁を解体して基礎から組み直した。市が水産会社に費用約3000万円を助成した。

 市教委は「所有者とともに、米騒動の歴史を残していきたい」と話していた。

 米騒動は、18年7月、米価の高騰に苦しむ漁民の主婦ら数十人が、旧十二銀行所有のこの米蔵前に集まり、米を船に積み込む作業を阻止しようと騒ぎになり、全国に波及した。

 現地見学会は、午前10時、午前10時半、午前11時、午前11時半の4回。米蔵の海側にある解説看板前に集合。問い合わせは同市教委(0765・23・1045)。

(2010年4月3日 読売新聞)

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